大型機械加工・産業用機械装置製造開発メーカー

綿谷製作所の歴史

綿谷製作所の歴史

丸子町記念碑
丸子町(現上田市丸子地区)は、養蚕業の先進地帯として明治から大正末期にかけて器械製糸の依田社を中心に栄え、大正7年の丸子鉄道開通により、生糸をアメリカに輸出する花形産業の町として工業を発展させてきました。

昭和に入ると、隆盛を誇ってきた製糸業は世界恐慌の影響などから衰退していき、製糸工場は太平洋戦争の終戦とともに姿を消しました。

製糸業が衰退する一方で、戦時中に進出してきた機械工業や疎開工場が戦後の工業発展の基礎となり、丸子町(現上田市丸子地区)の産業構造を大きく動かすことになります。

そんな経済の折、綿谷製作所はYD式煮繭機,操糸機,一般機械器具製造を中心に社会に貢献・発展をしてまいりました。

創始者 綿谷善蔵の成り立ち

綿谷 善蔵
明治27年5月3日、石川県加賀市に生まれ、舞鶴海軍工廠等に勤務し労苦・研鑽を重ねたのち、精巧な技術を体得。
大正13年8月に招かれて丸子工業株式会社工場長に就任しました。
そして昭和10年にこれを承け継ぎ、綿谷製作所を設立。丸子町金属機械工業の幹として今日優秀な精密機械の製造をみるに至っております。
昭和21年11月には丸子商工会初代会頭に就任。商工振興のために尽くし、昭和26年4月には丸子町議会議員に当選、副議長に選任されました。その他、丸子町選挙管理委員長に選任されるなど地方自治のために尽くしました。さらに上小技能者養成協会を設立、初代会長に就任し、技能者養成に努力しながら、過去53年に及ぶ間指導を受けた技術者は数百名にも及んで社会に大きく功献しております。
此度で産業功労者として知事より表彰され、名誉と栄栄誉ある紺綬褒賞を賜ったことを機会に、指導を受けた者また受けつつある者一同で功績を記念し、徳を称えて記念碑が建てられました。

丸子町(現上田市丸子地区)の工業の礎を築いた人々

丸子町(現上田市丸子地区)の工業の礎を築いた人々(顕彰記念碑の六人)
下村 亀三郎(1867〜1913)
下村 亀三郎(1867〜1913)
丸子町(現上田市丸子地区)初の器械製糸業を興すと共に依田社を設立。寒村であった丸子町(現上田市丸子地区)を一大製糸王国へと変え、産業の発展に尽力し、工業のまち丸子の礎を築く。

工藤 善助(1854〜1938)
工藤 善助(1854〜1938)
下村亀三郎氏の後を継ぎ、依田社社長となり、糸質の向上、生産の飛躍的な発展を図り依田社の全盛を築く。又、鉄道開設等幾多の公共施設の拡充に尽す。

金子 金平(1873〜1941)
金子 金平(1873〜1941)
依田社に製糸試験所を設置し糸質向上と技術革新に力を注ぐ。又、製糸業衰退の中、鐘淵紡績株式会社丸子工場の招致に成功し丸子町(現上田市丸子地区)の産業復興に貢献する。

松山 原造(1875〜1963)
松山 原造(1875〜1963)
双用犁の元祖である単ざん双用犁を発明し二十数件に及ぶ特許実用新案を登録。松山スキの名で全国に普及を図り、農耕機業界の中心的役割を果たす。

金子 行徳(1878〜1965)
金子 行徳(1878〜1965)
製糸業より資本集約的な絹糸紡績に着目し信濃絹糸紡績株式会社を興す。以来、連続黒字経営を堅持すると共に電子産業へ参入し地域産業の振興に貢献。

綿谷 善蔵(1894〜1969)
綿谷 善蔵(1894〜1969)
綿谷製作所を創立。自ら技術指導にあたり多数の優れた技術者を養成する一方、自主独立を奨め二十有余名を経営者として輩出し中小企業育成に力を注ぐ。